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奥社
参拝ガイド
奥社への参道
御本宮の向かって右側、展望台から続く道の鳥居が、厳魂神社(通称「奥社」)への参道の入口です。御本宮から奥社まで、距離は約1.2キロメートル、石段は全583段です。
真井橋
真井橋(まないばし)は、真井渓(まないだに)に架かる赤色の橋です。上流には、明治37年(1904)に作られた防火用水源の真井貯水池があります。
北原白秋歌碑
真井橋を渡ったところに庵治石(花崗岩)の歌碑があります。書道の大家である安東聖空の作品です。慶應義塾体育会山岳部の部歌「山の唄」(作詞 北原白秋、作曲 中山晋平)の歌詞を書いたものです。
常磐神社
常磐神社(ときわじんじゃ)の御祭神は、武雷尊(たけいかづちのみこと)と誉田和氣尊(ほんだわけのみこと)です。武雷尊は、神話「天孫降臨」(てんそんこうりん)の武勇の神様です。誉田和氣尊は、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)の皇子 応神天皇であり、八幡様として日本全国で広く祀られている鎮守の神様です。
白峰神社
白峰神社の御祭神は崇徳天皇です。相殿には、御母である待賢門院(たいけんもんいん)と、山の神として信仰されている大山祇神(おおやまつみのかみ)の二柱が祀られています。また、随神として源爲義(みなもとのためよし)と源爲朝(みなもとのためとも)の木像が安置されています。
崇徳天皇は、保元の乱〔保元元年(1156)〕の後に讃岐国にて金毘羅大権現を崇敬し、境内の「古籠所」に参籠されました。また、その附近の「御所之尾」を行宮にされた、と伝えられています。
菅原神社
菅原神社(すがわらじんじゃ)の御祭神は、讃岐守(さぬきのかみ)でもあった菅原道真命です。「学問の神様」「至誠の神様」として信仰されています。
卯花谷休憩所
卯花谷休憩所は、朱色のあずまやです。その昔、この辺りはウツギが多く見られ「卯花谷」と呼ばれていました。
手水舎
いよいよ厳魂神社(奥社)まであと少しです。
厳魂神社(奥社)
厳魂神社(奥社)の海抜は421メートル、表参道からの石段の数は全1,368段です。「奥社(おくしゃ/おくのやしろ)」は通称であり、正式な名称は「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」です。金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祀られています。
厳魂彦命は、戦国時代に生駒家の家臣の子として生まれ、早くから和漢神仏の学を修め、「宥盛」と称して高野山で修行し、象頭山金毘羅大権現別当金光院主となり、戦国の兵火により荒廃した金毘羅大権現の再興に尽力、金毘羅信仰の発展の礎を築きました。
慶長18年(1613)、「死して永く当山を守護せん」と言い残し、天狗と化して忽然と姿を消したと伝えられています。のちに金毘羅大権現の守護神「金剛坊」として祀られました。
厳魂彦命が祀られる厳魂神社は、〝こんぴらさま〟を見守るかのように、現在も御本宮の方角に向けて建てられています。
威徳巖
厳魂神社(奥社)は讃岐岩質安山岩の急斜面に鎮座しています。この崖を「威徳巖(いとくのいわ)」といいます。厳魂彦命が参籠された旧跡です。崇徳天皇も参籠されたのではないかと伝えられています。 断崖の上方には天狗とカラス天狗の彫物があります。