金刀比羅宮 | 例大祭
金刀比羅宮 例大祭 〜 十月十日は、こんぴらさんの日。

年により、例大祭の祭典・神事は一部変更になることがあります。

「例大祭」は暦本に「金刀比羅祭」とある金刀比羅宮の特殊神事であり、もっとも重要な御祭です。

その期間は、「祝舎(いわいや)」での神事も含め、8月31日の口明神事から10月15日の焼払神事まで46日間にもわたります。主要な祭典である「宵宮祭」「御本宮 例祭」「御神輿渡御」は10月9日〜11日の3日間に齋行します。

特に10月10日は、年に一度、大神様が琴平山の麓の門前町に下りられる「お下がり」の日です。その御神輿渡御は、数百名が御本宮から町内の御神事場まで約2キロメートルを進む平安絵巻さながらの大行列です。その際、大神様の御神輿は、行列先頭の「お頭人さん」(おとうにんさん)と呼ばれる乗馬の男子児童2人と駕籠の女子児童2人に導かれます。邪心のない子どもたちは神を導くことができるとされているのです。

10月 9日 16時 宵宮祭(御本宮)
10日 10時 例祭(御本宮)
21時 御みこし御本宮発御(御本宮→御旅所)
十月十日 御神輿 経路地図(PDF)
11日 21時 御みこし御旅所発御(御旅所→御本宮)

祝舎とは、齋舎の意味で、例大祭に奉仕するお頭人さんが精進潔斎する齋場のことです。その構造は極めて古雅清楚で、黒木と竹から成り、昔からの様式が守られ現在も変わっていません。祝舎での一連の神事を「祝舎神事」といいます。

昔は、琴平山の山麓の四条・五条・榎井・苗田の4つの村が毎年輪番で祝舎神事を勤めていました。祝舎は2カ所に設けられ、一つを上祝舎といい、一つを次祝舎といいました。祝舎の奉仕をする家筋は十数軒あり、子孫がこれを継承し、その家筋の者でないと奉仕ができない慣例でした。村の頭屋から選ばれた男女各2名のお稚児さんがお頭人さんとなり、祝舎に参籠、約1ヶ月間に及ぶ朝夕の神事を奉仕し、例大祭の御神幸に供奉しました。

時代の変遷とともに昔ながらの様式は難しくなり、昭和31年(1956)より祝舎は1ヶ所とされ、現在では御神事場に建てます。例大祭の主役であるお頭人さんも、広く全国の崇敬者の皆様から募集し、重要な祭典以外はお頭人さんの代わりに祝舎係が奉仕します。

祝舎ではお頭人さん・祝舎係の他に、祝舎神職・庄官・頭司・頭婆・五人百姓が奉仕します。祝舎神職は文字通り、祝舎を担当する神職のことです。庄官は、祝舎奉仕者を定めるなど、祝舎に関する一切を取りしきる者です。お頭人さんの食事を始めとする祝舎のあらゆる世話をする男女各1名の者を、男は頭司、女は頭婆といいます。五人百姓は、宝暦3年(1753)の香川庸昌の写本「讃陽綱目」に「古代神事掛りの百姓は五人なり。この山百姓五人は本家なり。御神の供奉して当地へ来たり、数千歳を経るは家筋歴々をいうべきなり」とあるように、古来より金刀比羅宮の神事の手伝いをしてくださってきた家筋の方々です。

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それでは、例大祭の祭典・神事を順番に解説します。画像は、実際の過去の例大祭で撮影したものです。

8月31日、御神事場にて「口明神事」を齋行します。「口明」とは物事のやり初めのことです。甘酒を神前に供え、祝舎神職・祝舎係が祭典を執り行います。

9月1日、御神事場にて「祝舎地鎮祭」を齋行し、祝舎の建設に着手します。

9月8日、「潮汲藻刈神事」と「潮川神事」を齋行します。

潮川神事は、毎年9月8日、午後6時より、金刀比羅宮の門前町である琴平町を貫流する金倉川の清流に臨む御神事場において齋行します。宮司をはじめとする神職、巫女、祭員、伶人、舞人、お頭人さん、庄官、五人百姓等が、その年の例大祭を迎えるにあたって、身も心も清々しく障ることなくご奉仕できるようにと齋行する禊祓神事です。

古くは多度津の海岸において齋行していましたが、正平年間(1346‐70)の兵乱により中止、その後は、多度津の海水と海藻を持ち帰り、金倉川の水に雑え海岸とみなし、御神事場において齋行するようになりました。そのため、現在では、当日の午前中に「多度津金刀比羅神社」(熊手八幡宮)において潮汲藻刈神事を齋行します。

9月9日、御神事場にて「竃祓祭」と「御幣立神事」(おはけたてしんじ)を齋行します。

9月10日、祝舎にて「入宿神事」を齋行します。昔は、この日からお頭人さんが祝舎での精進潔斎の生活に入りました。現在では、祝舎係がお頭人さんに代わって奉仕します。

10月1日、御神事場にて「御厩神事」を齋行します。

10月6日、祝舎にて「指合神事」(さしあわせしんじ)を齋行します。祝舎神事の中で一番重要な神事とされ、昔はこの神事にて次の年の「頭屋」について打ち合わせをしました。現在は神事のみ齋行しています。

神事の後、神職・お頭人さんらが一緒に「七膳片箸」(しちぜんかたはし)を食します。七膳片箸は、うどん・卵豆腐・あんころもち・雑炊・団子吸い物・魚吸い物・甘酒の七つの膳から成る食事で、甘酒に箸が1本だけ添えられることから、そのように呼ばれます。

10月9日、午後4時、御本宮において「宵宮祭」を齋行します。祭典では八少女舞を奏進します。

10月10日、午前10時、御本宮において「御本宮 例祭」を齋行します。祭典では大和舞(神主舞・諸司舞)を奏進します。

午後5時より、男のお頭人さんは乗馬、女のお頭人さんは駕籠に乗り、頭司・頭婆など供奉の者を従え、祝舎から参道を進み、高橋由一館にて「頭人式」を行います。お頭人さん・祝舎神職・頭司・頭婆は五人百姓の「祝いの膳」の供応を受けます。

頭人式の後、お頭人さんは祓戸社で祓いを受け(修祓の儀)、御本宮へ参殿し「金幣式」をおこない、五人百姓の供応を受けます。

午後9時、御本宮から御神事場まで御神輿が渡御いたします。先供の奴組、乗馬の男のお頭人さん2名と駕篭の女のお頭人さん2名を中心とした頭人行列、猿田彦、道太鼓、講員、敬神婦人会、氏子総代、庄官、五人百姓、祝舎神職、神馬、巫女、舞人、太玉串、伶人、御神宝、啓行員、御紫翳、御神興、御菅翳、御絹傘、御錦蓋、御菅蓋、宮司以下神職、祭員など、数百名が行列を整える御神幸です。約2キロメートルの道のりを2時間かけて進みます。道太鼓が凜々と鳴り渡る沿道は、奉拝者のみなさまで賑わいます。

深夜、御神事場の行宮において「行宮着御祭」を齋行します。祭典では大和舞(神主舞・諸司舞)を奏進します。

10月11日、早朝から御神事場は賑わいます。

午前10時、行宮において「朝祭・献馬式」を行います。式では東遊を奏進します。

午後2時、「講社祭」を齋行し、金刀比羅舞を奏進します。

午後4時、「還幸祭」を齋行します。祭典では、八少女舞(諸舞・一人舞)を奏進します。

午後9時、御神輿は御本宮へ御還幸いたします。深夜、御本宮において金幣式・五人百姓の供応・報賽祭を行ない、解齋歌を奏します。お頭人さんは、五人百姓の供応の後、高橋由一館にて頭人式を行います。

10月12日、午前1時頃より祝舎にて「御幣下神事」(おはけさげしんじ)を齋行します。祝舎神職がお頭人さんに祝舎奉齋の4体の御神札と御幣を授与する儀式を行います。その後、頭司が御幣を下ろします。

10月14日、「頭人三日詣」を行います。その年のお頭人さんと次の年のお頭人さんが昇殿し、来年もつつがなくご奉仕できますようにと、「頭屋渡し」の神事を行います。

10月15日、「焼払神事」を齋行します。祝舎の建物を取り壊し、その用材や御幣などを焼払います。46日間の長きにわたる例大祭が終了します。